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形成外科学会で美容外科のセッションはそれほど多くないのが通例ですが、形成外科医にとってそれほど興味がないのかといえば、むしろ逆だと思います。

ここ10年ぐらい、形成外科医にとって美容外科への興味は増加する傾向にあるようです。

今回の学会でも美容のセッションはそれほど多くはなかったのですが、美容外科の会場は聴講者でほぼ満員でした。

私が印象に残ったのは、美容外科のアップツーデートというパネルでした。

どちらというとこれから美容外科を始めようという会員のためのパネルかと思いましたが、聴いてみてためになることが多かったように思います。

パネリストが本題として話していること以外でちょっと言及した内容にも、こちらがはっと気づかされることがあり、「あーよかった、遠くまで診療を休んで来たかいがあった!」と思えました。

ただ残念に思えたのは、プレゼンのなかで示された写真について相変わらず術前術後の撮影条件にまで気を配った写真が少なかったことです。

とくに術前写真は撮り直しが実質上できないので重要で、われわれ形成外科出身の美容外科は写真の重要性を研修医時代にいやというほど叩き込まれているわけですから、少し残念な思いをしました。

さらに極端なことをいえば、同一条件で取られていない術後写真などは簡単にごまかせるので、そういった写真で発表した演題は内容そのものの信憑性がないと判断します。

うちのクリニックでは術前写真については、化粧ありと化粧無、前髪が普通と前髪をアップ、というようにいろいろな条件で、カメラとフラッシュの条件を一定にしてかなりの枚数の写真を取ります。

術後写真も同様な条件で、とくにフラッシュは外部ストロボで条件(カメラ側ではシャッタースピード、絞りなどは当然マニュアルで一定にしていることは言うまでもない)を一緒にして撮影しています。

したがってうちのHPの写真は、そのまま論文に使用できるような写真しか載せておりません。

たんなるスナップ写真をモニターの術前術後として掲載しているクリニックは、写真に対して、ひいては患者さん自身の手術による変化そのものにも無関心であるといえます。

私はクリニックを判断する材料として、モニター写真そのものの出来栄えよりも、そういったことに配慮されているのかどうかを知ることのほうが重要だと思いますが・・。

今日のお話は、それ、ホンマでっか、という軽い気持ちで読み飛ばしてください。

今回の徳島の学会で、外人招待講演や外人による演題が相次いでキャンセルになりました。

アメリカでは、日本中が放射線によって汚染されていて日本への渡航を見合わせるようにという指示があったそうです。

日本に住んでいる我々にとって「そりゃー何かの悪い冗談でしょう?」としか思えませんが・・・。

次のお話です。

今回の学会が終わって岡山まで足をのばして大学時代の同級生たちと会うことになりました。

その酒の席で、もっぱら大学時代にお互いに馬鹿をやった時の思い出話が一通り出尽くした後は、やはり今回の原発事故の話題に。

同級生の一人で整形外科医の友人がこう言い放ちました。

「あれぽっちの放射線量でがたがたいってたら、おれたちどうなるんや。いままでさんざん放射線浴びまくっとるがな~」と。

これには私も同感。形成外科の前には2年ほど整形外科をやっていたが、術中の透視(骨の手術の場合、レントゲンを出しっぱなしにして画面でそれをリアルタイムに見ながら位置を確認し、手術をすることが多いのです・・)による被ばく量は結構なものです。

ましてや我々より先輩の医師などは、防護服(鉛入りの前掛けみたいなもので手術着の下にそれを着るととても重く暑い・・・)も着ないで手術をやりまくっていたのですから、とっくの昔に放射線障害が出てもおかしくないのです。

ところがそういった先輩医師たちほど妙に元気で、癌にもならずに長生きしているのです。私もそういった整形外科の先輩医師を知っています。

適度な放射線を浴びていたほうがそれによって発生した活性酸素を不活化する力が強くなり癌死が減るというデータがある、と昨日のテレビに出演していた放射線のえらい先生も話していました。

どうやら何が本当で何がうそなのか、さっぱりわからないのが「放射線」ということのようで。

(ただし、大量の放射線を短時間に浴びることによる障害は、ここの話とは全く別であることは周知のとおりです)

今回の形成外科学会総会は徳島で行われました。

この規模の学会は1年に1回のペースで毎年4月に開催されます。

学会の幹事は持ち回りで変わり、今年は徳島大学形成外科が幹事校ということになります。

幹事校は2年ぐらい前に決定され、2年後の学会に向けて準備を始めます。

この規模の学会を開催するにはこれぐらいの準備期間が必要になり、たとえばシンポジウム、パネルディスカッションのテーマを決定して演題を募集したり、外人招待講演の準備、会場の手配など2年でもぎりぎりなぐらいです。

今回徳島大学の教授をはじめ教室員のみなさんも大変な思いで学会にこぎつけられたのではないかと思います。

ところが3月11日の震災の影響で、学会直前にプログラムの大幅な変更を余儀なくされ(外人招待講演がキャンセルになり、懇親会もキャンセルなど)、徳島大学としては非常に不本意なものになってしまったのではないかと感じました。

その中で唯一来日され講演が実現したのがカリフォルニア大学の中村修二先生の特別講演でした。

国内でも青色発光ダイオードの発明でよく知られた中村先生ですが、その開発までにご苦労された話や日米の研究環境のちがいについて独特の口調でお話をしていただき大変感銘をうけました。

そのなかで心に残ったのは、決して恵まれていたとはいえない環境の中で苦労して発光ダイオードの生成装置を自らつくり開発にこぎつけ、それが今の華々しい研究成果につながっていると感じている、とのことでした。

苦労された当時は絶望の連続だったようですが、振り返ってみて初めてそのことに気付かれたとのことでした。

絶望的な状況でも研究を続けることができた理由はなんですか、との質問に先生は「怒りでした」ともおっしゃいましたが、「目の前にあるひとつひとつの問題を解決していくことが好きだった」とも言われていました。

私も時々美容外科を取り巻く環境に絶望することもあり怒りを覚えることもありますが、やはり美容外科そのものが好きであり続ける限り前に向かって努力できる、とあらためて考えることができました。

今回の学会に携われた関係者の皆様、本当にお疲れ様でした。そしてありがとうございました。

13日から15日まで徳島で開かれた「日本形成外科学会」に参加しました。

学会の内容については後日報告します。

徳島まで行くのに名古屋からだと飛行機や鉄道では直通で行けるものがなかったので、ドライブがてら自家用車で行きました。

学会のついでに研修時代を過ごした香川県丸亀市や最後の日には岡山まで行って大学の同級生たちと食事などをした関係で走行距離がなんとこの3日間で1000kmを超えました。

運転が嫌いでない私でもさすがに名古屋に着いたときはぐったりでした。

そうはいってもこの3日間、高速道路も空いていて渋滞に遭うこともなく、車の調子も絶好調で無事に行って帰ることができました。

四国にしても中国地方にしても田舎(失礼!)ほど道がきれいで気持ちよく走れました。とくに今回通った高速道路のなかで「新名神高速道路」のきれいさ走りやすさは群を抜いていました。

途中3車線でトンネルも広く、舗装も新しいようで、車が吸いつくようになめらかでした。

燃費は全体を通してこの間、リッター9.2km!・・私の車はノンエコカーの典型みたいな車でしかも普段は通勤使用のため5.1km/Lぐらいです・・、給油も道中1回ですみました。

来年の形成外科学会は、東京で開かれる予定です。もちろん新幹線で行きます。

 

これは、先日モナコの学会のときに宿泊した「ホテルエルミタージュ」のロビーにある「ジャルダン・デュ・ヴェール」(ちなみにジャルダン=庭、ヴェール=緑だったと思います)です。

よく見るとこのドームを支えている鉄骨は大きなリベットでかしめられていて、そこだけ見るととても無骨な印象を受けるのですが、これはパリのエッフェル塔で有名なグスタフエッフェルの設計で国の重要文化財だそうです。

あらためて1階から眺めてみるとなかなかのものです。天井はご覧の通りステンドグラスになっています。

2階は丸い回廊になっていて、毎日ここで朝食をとっていました。とても気分のよい朝を迎えることができます。

目の保養にどうぞ。

さて本題です。昨日書きました「専門医」について。

専門医制度は、その科の一定の水準を維持するうえで重要であると考えます。

医療というのは医師の自由裁量権と標榜科の自由があり、よほどのことがないかぎり医師には何をやってもいい、という他の業界ではちょっと考えられないことが許されています。

もちろんそのために医学教育は6年かかり、医師国家試験に合格しなければ医師免許は与えられないのです。

ところが医療の急速な進歩と発達によりその細分化・専門化がすすみ、大学での6年間の教育だけではその全部を網羅することは不可能になってきました。

大学の医学部を卒業してさらに2年間の全科研修を修了し、その後5~6年間の専門医研修を終えてやっと専門医を取得する権利をうるわけです。

さらに、加速していく医療の進歩に追い付くためには常に情報を仕入れ、自ら行っている医療について他の医師の評価をうけることも重要になってきます。

そのために学会に出席する、学会で演題を発表する、論文を書く、ことなどが必要になります。

これをチェックするのが専門医の認定更新作業になります。

専門医を取る、あるいは専門医を維持する、という作業そのものがその医者の医療水準を一定以上に引き上げそれを保つことにつながると考えられます。

これは先日のモナコの学会のとき、ニースまで足を延ばした時の写真です。ニースのコート・ダジュール、その名の通り「紺碧」の海岸がどこまでも・・どこまでも・・続いていました。

今年は、形成外科専門医と美容外科(JSAPS)専門医の認定更新の年です。

専門医は更新制で、5年に1回所定の書類を提出して認定を受けなければ専門医の認定が取り消しになります。

わたしにとって形成外科専門医はこれが3回目の更新、美容外科専門医はこれが最初の更新になります。

更新には、主に5年間の研修実績を書類で示すことが必要になります。研修実績とは、学会の出席証明、あるいは演題発表や論文の発表が主なものとなり、出席のみが2点、発表が4点、論文発表が6点などと点数が決められています。

私の場合は、過去5年間に論文を4遍、シンポジストを4回、パネルディスカッションとレクチャーをそれぞれ1回行いましたのでこれだけで最低必要な点数をほぼクリアーできました。

こうやって過去5年間を振り返ってみると、われながらよくがんばったかなーと思います。

形成外科専門医の認定証が先日クリニックのほうに届きました。

  

美容外科専門医の更新については、書類提出が終わったところなので今年の秋ぐらいに新しい認定証が届くと思います。

今年も桜の季節となりました。花粉症さえなければ1年で一番好きな季節です。ちょっと暖かく、時々肌寒くといった微妙感がいいです。

この季節で思い出すのは、やはり18歳の大学1年になった時です。

地元の名古屋を離れて、見知らぬ土地で一人暮らしと大学生活を一遍にはじめたわけですから、心細いのと自由な気分が入り混じって・・、今でもその時の自分をはっきりと思い起こすことができます。

あの時の自分が今の自分のことを想像することができたかといえばまったくできなかったわけですから(よもや美容外科医になって開業しているなど・・)、同じ自分でも今と18歳の時の自分は全く違う世界で生きているようにも感じます。

ところで先月で、開業して2年と半年が経過しました。おかげさまで開業後比較的順調な滑り出しでここまで来ることができました。

今後ともブログともども我がクリニックをよろしくお願いします。なお今月からスタッフブログも始まりました。そちらもよろしくお願いします。

時々、展示会が催されると美術館に行くことはありましたが、シャガール美術館を訪れたときに経験したものは初めてでした。

絵画を絵画そのものとしてみることはあっても、その作品の背後にあるものまで考えることは少ないし、特に海外の画家の作品については知ることはできても実感することなど日本にいるかぎりありません。

シャガール美術館に限らず今回の南仏の美術館巡りでは、そういった意味で作品とその背景まで実感することができた初めての経験でした。

シャガールはユダヤ人の家系で、その作品にはユダヤ教の聖書の教えが深くかかわっていました。

今回訪れたニースにあるシャガールの「聖書メッセージ国立美術館」は、そんな彼の作品のうち旧約聖書にかかわる大型の作品が10数点展示されています。

非常によく考えられた美術館で、作品の配置や日本語による作品解説レシーバなど鑑賞する立場を十分に考慮されていると感じました。

さてその作品群ですが、人類の創造からエデンの園、ノアの方舟など創世記に関係した作品と出エジプト記で12点、それ以外の作品を含めて大型作品が17点。

17点をじっくり見るとそれだけで軽く2時間ほどかかってしまいます。

それほど一つ一つの作品が充実していて、その中に暗示されているものを解説を聞きながら解釈するといった作業を繰り返していきます。

普段東洋の果てで生活しているものにとって旧約聖書など触れる機会はまったくといっていいほどないし普段考えることもないのですが、この美術館を訪れている間のほんの一瞬でも触れることでなにか昔から知っているようななつかしい感じすらしてしまうのです。

今回訪れた美術館群のうちここが一番いわゆる美術館らしい(日本人の考える)美術館といえます。

このあとでピカソ、マティスなどの美術館を訪れました。

南仏の美術館巡りのなかで最初に訪れたのは、カーニュ=シュル=メールの地にあるルノワールが晩年の十数年を過ごしたレ・コレットでした。

とても日当たりのいい広大な丘の上に、たくさんのオリーブの木やオレンジの木に囲まれた庭のある家は、いまではいくつかの作品が展示されている小美術館となっています。

実際に彼が使用した「車いす」やアトリエがそのままの形で保存されていて、彼がそこで数々の晩年の作品を描いている姿が容易に想像できます。

この時代の家としては窓が広くとってあり部屋のなかがとても明るく、広い庭全体を見渡すことができて、その向こうのコートダジュールの海岸まで見ることができます。(現在では家がたくさん立ち並んでしまったにもかかわらずそれでも海を見ることができます。)庭は緩やかな南斜面となっていて日当たりがとてもいいので、晩年のリウマチを患っていたルノワールにとっては癒しの空間になったと考えられます。

実際に部屋の中ばかりでなく、この庭をバックにした構図の絵が何枚もありました。

家には彼や家族が過ごした部屋以外にもいくつかの部屋があり、絵描きの友達が使用していたり、女中さんが寝泊まりしていたそうです。

その中に一つの小部屋があり日本人の画家でルノワールと親交があった梅原龍三郎の写真も飾られていました。

ルノワールは画家には珍しく家族に恵まれた人で、裕福な家の出の夫人と3人の息子に恵まれた人でもあったようです。この家も家族の手で守られていると聞きました。

ルノワールの絵に特別に興味を持ったことはありませんでしたが、ここを訪れることで彼の感じた「光」を直接知ることができ、また彼が過ごした環境そのものと家族などを知ることで、彼の作品の理解も深まったような気がしました。

このあとはシャガールの美術館を回ることに。ここもまた深い感銘をうけたのですが、詳しくは次回紹介です。

4月13日~4月15日に日本形成外科学会総会が開催されます。

そのため14日木曜日と15日金曜日は休診とさせていただきます。電話による予約業務などは通常通りです。

よろしくお願いします。

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