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今年の目標の一つとして、「本を出版すること」をあげてきましたが、やっと上梓するに至りました。

私自身、医学書についてはこれまでにも何冊か分担執筆という形での経験がありますが、今回の本は医学書とは全く違うもので人生初の経験になりました。

タイトルは「医者の父から息子へ贈る30通の手紙」です。

発売は5月27日(金曜日)になります。詳しくはこちら

内容を簡単に言えば「自叙伝」になりますが、もちろんテーマは医学と美容医学に関係したものになります。

私が専攻した医学のなかでも特殊な分野である「美容外科」は、どちらかといえば軽いイメージで描かれることが多かったと思うのですが、そういった意味では今までのものに比べかなり違った内容になっています。

美容医学に対する情熱は誰にも負けないと自負していますが、それ以上に日本の美容医学の未来に対する不安や自分の無力さ、失望を毎日感じているのが現状です。

私一人の力はたかが知れていますが、私に共感してくれるこれからの若い美容外科医が美容外科の将来をいい方向に変えていってくれることを期待して、今回の本を書きました。

若い医師が今まさに美容外科で開業しようという時に読んでいただけると役に立つのではないかと思っています。

もちろん既存の同業者のドクターや美容外科に関心のある患者さんにも読んでいただきたいと思います。

どちらかというと口下手であまり社交的でない私の本当の姿を、この本を通して少しでも理解していただけるようでしたら幸甚の至りです。

今回は編集者の意向もあって、特殊な出版形式をとっています。

アマゾン限定販売になっています。

まず紙の本があって電子版も利用することができるというのが通常ですが、今回の本は「Next publishing」といって、逆に電子書籍が前提で、ご希望の方にだけ注文後に1冊1冊を製本してお届けするという形式になっています。

したがって紙の本というものがあらかじめ存在しているわけではないので本屋さんなどでは購入できません。

また注文後、製本してお届けできるまでに1週間ぐらいかかるとのことです(電子書籍であればすぐに読むことができます)。

今回の形式では、電子版は廉価に設定できましたが、製本にすると倍近くになってしまうことと、本文中の写真が白黒しか対応できなかったことが若干の心残りでした。

この場を借りて、私のタイトなスケジュールに最後までお付き合いただき、私のわがままな要望に最大限こたえていただいたクロスメディア・マーケティングの川辺様、和田様に心から感謝申し上げます。

最近、ネットで2014年の引っ越ししたい田舎のランキングというのを見かけました。

1位が「山梨県」・・・私も最近、山梨県に生まれて初めて行ってきましたが、とてもいいところで、中でも富士山が間近に見られるのは贅沢だな~とおもいました。東京から特急で1時間半、というのも魅力的です。

2位は長野県、そして3位に岡山県、となっていました。

私の第2の故郷、岡山が3位!。

岡山県民以外で、岡山のこと知っている人は少ないと思っていたのですが、東日本大震災以降、温暖なうえに天災が少ないということで脚光を浴びたのが原因のようです。

ご存じのように岡山大学医学部出身の私には、岡山で過ごした7年間は今でも忘れられない青春そのものです。

生まれ故郷の名古屋を飛び出して18歳だった私はそれまで一度も訪れたことがなかった岡山の地を医者になる第一歩として選んだのです。

若かったといえばそれまでですが、今考えてみるとよくそこまで決心できたと感心します。

高校の進路指導の先生も「なんで岡山なの?」と首をかしげるばかりで、そのあたりの深~いお家の事情?はまたの機会に書くとして・・・。

岡山の7年間をあらためて思い返してみると確かに気候も温暖でその間一度も大きな地震は経験したことがありませんでした。

どちらかというと刺激がなさ過ぎて20歳前後のエネルギーが爆発しそうな若者には少々もの足りない青春時代でした。

今となってみると、この貴重な青春の7年間をのんびりした岡山で過ごしたことが、今の診療スタイルにも少なからず影響しているかも知れません。

大都会とは言い難い岡山ですが、想像以上に交通の便はよくて生活に困ることは何もなく、この「ほどほど」感が田舎でも住んでみたいと思う原因でしょうか。

岡山を離れて30年、さすがの岡山もかなり変わったと聞きますが、老後にもう一度岡山にうつり住んでみたいと思うかどうか・・・第2の故郷も遠きにありて思うもの、かもね。

以前は、博士論文を提出して医学博士号を取得することが、医師として一つの目標でした。

今は、専門医を取ることのほうが重要とされる風潮がありますので、博士号にこだわる若い医師は少なくなりました。

私が30代(1990年代)のころは、ちょうどその過渡期にあたっていたため、博士号も専門医も両方とった医師が多く私もその例外ではありません。

前回の記事にも書きましたが、博士号の論文を作成するためには、日頃の診療の傍らでその準備をすることになり、それははかなり大変な作業になるため、出来上がるまでに数年かかるのが普通です。

論文の内容の真偽は、その結果がだれが行ったとしても同じ結果が出て(普遍性)、なおかつ何回でも同じ結果が出る(再現性)ことで証明されます。

過去に、私の博士論文のきっかけになった外国の論文の内容を日本で再現できないため、わざわざその人のラボ(オランダ)まで渡航し実際に現場を見せてもらった、という経験があります。

結局、再現するには論文に書かれていない、ちょっとした工夫が必要だったということがわかり、帰国してからはその後の自身の研究も順調にはかどった、という経緯があります。

いずれにしても世界のなかでまだ誰も発表したことのない研究内容を思いつき、科学的に実証し、それを論文にし、世界的な雑誌に掲載されるまでにはとても困難な長い道のりが必要です。

最近の若者の留学離れが進んでいる、といわれています。

テレビ番組で、若者はもっとガッツをもって留学すべきだ、などという声も聞かれるのですが、これは本末転倒と思うのです。

留学は目的ではなく、いまの状況を打開するひとつの手段だからです。

私も短期間ですが、大学の医局にいるときに2回ほど留学をしました。

当時の形成外科の医局において研究する環境はゼロに等しいものでした。

留学を思い立った時、自分の留学先、研究のテーマ、費用について何から何まですべて自分で決定し、交渉し、工面し、実行しました。

まず自分で興味のあるテーマを見つけ、その分野の論文を読み漁り、そこから世界のトップクラスの研究をしているドクターを見つけ、そのドクターに手紙とファックスを送り(当時メールという便利なものがありませんでした)、返事を待ってそこを訪れる、ということを繰り返していました。

医局には先輩もなく、教授も留学経験がないので頼ることはできません。全部自分で働きながらその合間にアレンジしなければいけません。

そんな切羽詰まった状況だったからこそ情熱が続いたのだろうと思うのです。

今の日本の状況は、私から見ると居心地がよすぎて留学する必要に迫られません。

若者が結婚しない状況と通じるものがあります。

日本の状況が変われば必然的に留学状況も変わるのであって、無理に留学する人を増やそうと思っても増えるものではない、というのが私の意見です。

3月の下旬は、うちのクリニックでは全身麻酔の手術が続きました。

私自身も麻酔の免許を持っていますが、全身麻酔の場合、麻酔科の先生にできるだけ来ていただくようにしています。

私にとっては、麻酔科の先生とお話しするのはちょっと楽しみでもあるのです。

私が麻酔科の研修をしたのは昭和59年から2年間で、今から28年も前のことです。

患者さんにはなじみの薄い科かもしれませんが、麻酔科は医療、特に外科系の医療にとっては非常に重要な科で、美容外科医の中にも麻酔科の研修を終了してから美容外科医になった先生も大勢おられます。

医者になったばかりの時期に麻酔科の研修を受けた関係で、この2年間は自分にとって忘れることのできない経験をたくさんしました。

その当時、研修医はほとんど「奴隷」扱いでした。風邪でかなり体調が悪くて休みたくて電話しても「這ってでも出てこい!」と当時の上司のM先生に怒鳴られました(そのM先生、今は麻酔科の教授になっておられます・・・)。

「出てきて、現場で倒れるまで働いて、倒れたら帰っていいぞ」とも・・・・。

いまから考えると無茶苦茶な世界でしたが、楽しかったな~と感じることもありました。

やはり自分も若かったからだと思います、理不尽なことを言われても、自分は半人前だからまあ仕方ないか、と受け入れることもできました(今じゃ~100%無理ですけど・・・)。

そういったわけで、麻酔科には今でも特別な思いがあるのです。

12月に入りました。受験シーズン到来です。

私は詰め込み教育賛成派でゆとり教育には疑問を持っています。

若い時に詰め込みをしなくていつやるのでしょうか。年をとってからつめこみなどという離れ業はなかなかできません。

脳が衰えるというよりは、ずるをすることを覚えてしまうからです。

だからこそ若いうちはなにも考えずにひたすら勉強する、仕事をすることが大事だということが最近つくづくわかるようになりました。

そのことが最初からわかっていれば、だれも悩まなくてすむのでしょうが・・。

若いうちは「なんでこんなことやらなかんの」と思ってしまうのですが、それがあとになって「点」が「線」にそして「面」につながってくることを実感するのです。

それがいわゆる「基礎」というものです。

「基礎」とは、築きあげると非常に強固で、どんな状況におかれても確信がもてる根拠になるものですが、それを強固にするまでが大変で何度も何度も同じことを繰り返し失敗しそこから学び・・を繰り返すことが必要です。

美容外科には形成外科的基礎が必要といわれますが、これらを身につけるためには「ばかになって」修練する時期が何年も必要だと思います。

私自身、形成外科医時代に、夜中の3~4時まで手術について眠い目をこすりながらひたすら皮膚縫合したこと。一生懸命手術したにも関わらず感染を起こして術後の傷の管理に泣かされたこと。微小血管縫合したところが詰まってみるみる移植した皮弁の色がかわってこちらの顔色もみるみる真っ青になってしまった経験。その患者さんの再手術を手術室に頼みにいって麻酔科医に思いっきり嫌味を言われ悔し涙がこらえきれなかったこと。嫌気性細菌感染をおこした巨大な床ずれの患者さんの手術で傷から発生するガスに、私も看護師さんも目をやられて暫く目が開けられなくて手術ができなかったこと、大病院でや〇ざ屋さんの刺青除去手術を断ったら怒鳴り倒されて気づいたら外来で二人きりにされていたこと、当直あけでそのまま出張しそこで長時間手術をおえてその後、車で帰宅途中高速道路で居眠り運転し死にそうになったこと・・数え上げたらきりがありません・・。

いまから振り返ればいろいろな場面で少なからず患者さんやスタッフの皆さんに迷惑をおかけしながらなんとかやらせてもらえていたのだと思っています。

それでも20年近くくじけもせずにやってこられたのはやはり「形成外科」「美容外科」がとにかく好きだったからだと思います。それがなければとても続けてこられなかったと・・・。

学会のだいご味は、何といっても直接ドクターどうし顔を合わせて話ができ、普段なかなか伝わってこない、あるいは伝えられない情報が交換できることです。

今回の学会では、フェイスリフトでの自分の考えが間違っていなかったことが確認できたことがとても大きな収穫でした。

それが確認できたのも、発表の時間だけではなく、懇親会である先生とお話しをしていたときに、でした。

日頃このブログを読んでくださっている若い先生ともお話しができて、「先生のお考えがよくわかりました」と言われた時はちょっと複雑な思いがしました。

やはりブログだけでは真の情報は伝えられない、ということと、逆に、こうして学会で話ができるのもブログのおかげなのだということに、少々戸惑いを感じたからです。

まずは情報を発信することからすべてが始まるわけですから、少々理解されなくてもあるいは誤解されても書き続けることが大事なのかもしれないと思いました。

最近は学会発表を聞いていても、つくづく新しい治療に頭がついていかなくてなかなか理解できないのには困ります。

2つの日本美容外科学会が一緒になろうとしている機運にはとてもいいものを感じましたが、まずは一緒に学会でも開いて既成事実を積み重ねることが肝心かなと思いました。

それにしてもこの問題が、ドクターの一生を左右しかねない重大な問題であることがあらためてわかりました。

この問題を解決していく目的で作られた委員会の先生方が、そのことについて言及した時には正直目頭が熱くなりました。

私がこうして堂々と美容外科医として仕事ができるまでのあまりに長い道のりを振り返ると簡単には言葉にできない気持ちになります。

ただ言えることは、過去は過去として、今は美容外科の未来を考え、これから美容外科を志す先生に少しでもいい環境が作られればいいな~とそれだけを切に祈るばかりです。

我々はその「礎」になったと思えば、今までの苦労もなんのその、です。

フリーの美容外科医時代  2002年4月~2004年9月
2002年以降フリーの美容外科医になりました。いろいろなクリニックから常勤のオファーがありましたが、医者になってから18年間ずっと勤務医生活を送ってきましたのでしばらくはフリーでいたかった、という気持ちからお断りしていました。
このフリーの時期にいろいろな美容外科の先生に出会うことができ、美容外科でだいじなことをたくさん学ぶことができたことは非常にラッキーで、今の美容外科医としての基礎が築けた時期といっても過言ではありません。
そのうちのひとつは、美容外科のクリニック経営です。特に美容外科のクリニック経営には、普通の科とはちがったノウハウが必要とされます。なかでも広告戦略はそのクリニックの経営そのものを左右する重要なキーポイントと考えられていました。
現在美容クリニックを全国に多数展開している某クリニックの院長先生には、当時経営面からみた美容クリニックについて教えていただきました。患者さんのことを第一に考えながら、経営面をいかに安定させるか、安定することでさらにいい医療を提供できるのではないか、ということを当時からこつこつと実践されそこから多くを学ぶことができました(このようなことで実名を出してはその先生に失礼かとおもいあえて伏せています)。
もう一つは美容外科における私の手術スキルそのものの進歩です。フリーになったばかりのころからすでに一通りの美容手術はできてはいましたが、この時期に飛躍的に手術の質が向上したことはまちがいなく、今の開業生活にも深くつながっています。
私より一歩先に形成外科をやめて美容外科に専念していた福田先生やコムロ美容外科の医療部長をされていた元伊勢慶応病院形成外科部長の中西先生(のちに両先生とヴェリテを立ち上げることになったのは2004年10月のことです)と一緒に手術をするようになり、形成外科のテクニックをふんだんに取り入れた美容外科を実践していくようになりました。
とにかく形成外科医としてのプライドをもちながらも決してそれに甘んじることなく、常に手術の技術を磨き、患者さんの希望がちゃんとかなえられているかどうか、われわれの間でお互いにチェックしながら情報を交換する診療スタイルをとっていました。
そんな生活を2年半すごしたのちふたたび私の身に転機が訪れました。以下次号へ。

 保険診療から自費診療への準備期間 2000年4月~2002年3月

美容外科で独立を考える上で一番重要なことは「保険診療」から「自費診療」への転換です。その準備のために、次の勤務先になった陶生病院で初めて自費診療というものを取り入れてみました。

その時に考えたことが2つあります(この2つのことは開業した今でも常に考えていることです)。

1つは自費診療の場合、保険診療では受けられない診療内容が必要になります。しかも患者さんが「自費を出してもいい」と思える内容でなければいけません(患者さんの高いニーズ)。

2つ目は診療を提供する側として、日々の診療内容もさることながら採算性のことをシビアに考えなくてはいけません(診療の採算性)。

その当時考えたことは、診療内容はできるだけ一般の医者がやりたがらないもので、しかも患者さんのニーズが高いものであればなおさらよく、さらに高額の器械などはなくても始められる治療を、というように考えていきました。

そのとき思いついたのは「しみ治療」でした。「しみ治療」あまりいい治療結果にならないことが多いせいか真剣に取り組む美容外科医がすくなく、 その割には患者さんのニースが高く、レーザーなどがなくてもトレチノインクリームなどで始められたからです。

こうして2000年から始めた「しみ治療」は、陶生病院を辞めたあとも愛知医大の形成外科外来で現在も継続しています。これまでに1000人以上に「しみ治療」をおこなってきました。

その後美容外科診療の範囲をシミ治療以外にまぶた、鼻、フェイスリフト、豊胸、脂肪吸引と徐々に広めていくことができました。2002年4月以降は、名古屋大学の医局をやめフリーの美容外科医になりました。

   豊橋市民病院勤務時代1995年4月~2000年3月

1995年に博士号をとりオーストラリア留学も終えて帰国した私を待っていたのは「豊橋市民病院」への赴任でした。

大学病院の慣習として、博士号を取得するとその後数年は「お礼奉公」として大学の関連病院へ出向することになっています。

赴任当時、豊橋市民病院は豊橋駅から歩いて10分もかからないところにあったので、自宅から病院まで約1時間半の通勤でした。ところが1年もたたないうちに病院は駅から数キロ離れた所に移転になり、通勤時間が30分余分にかかるようになりました。

そのころの私は名古屋に居を構えたばかりだったので自宅から何とか通勤したいとおもい、このころから新幹線通勤を始めました。(名古屋~豊橋間は「こだま」になりますが、一気に30分弱の通勤時間短縮になります)

↑当時の「こだま」はこの0系新幹線。(0系はつい先日惜しまれつつ現役を引退。本当にお世話になりました。)

私の新幹線好きはちょうどこのころからです。朝は新幹線に乗ってから朝食をとり、顔を洗い歯を磨き、その後新聞を読むと豊橋駅、という具合。帰りはちょっとした仕事の続きや読書を楽しんでちょうど名古屋駅。という生活を4年近くしました。

5年間の「豊橋市民病院」勤務はというと、臨床の腕があがったという実感は残念ながらほとんどなかったように思います。それよりも新病院のために毎週毎週経営会議で院長先生の「(保険診療の範囲で)売り上げをあげてください」というのを聞かされるのがだんだんつらくなってきていました。

保険診療も優れたシステムにちがいはないのですが、その限界を感じつつあったのも事実。特に美容外科に傾きつつあった私の診療スタイルだと自由診療の方が向いているのでは?と思い始めていました。

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