名古屋大学形成外科 博士号取得への道(1992年4月~1995年3月)
当時(おそらく現在でも)世界初の直径1mmのゴアテックスでできた人工血管をラットの大腿静脈に移植し血行開通した図↓。
真ん中の白い管が直径1mmのゴアテックス製人工血管。その両側が血管吻合リング。そのさらに外側に見える黒っぽい管が大腿静脈。
この移植実験に成功するまで、実に2年間来る日も来る日も実験の日々でした。
その間、オランダまで自費留学して実験の見学に行ったり、初めてあったオランダの学者と議論したり、日本に帰ってきてからは実験にのめりこみ過ぎてサルモネラ菌の食中毒にかかって生涯はじめて5日間入院したり。
そんな苦労の末にやっと実験に成功した瞬間の写真です。
この実験の成功を元に英語の論文をいくつか書いて、95年に博士号をとりました。
幼少時に「世界の偉人伝」という本を読んで、大人になったら学者になってノーベル賞をとりたい、という途方もない夢に一歩近づいた、と思った瞬間でした(もちろん残りは100万歩ぐらいありますが・・)。
新幹線の話で触れましたが、新幹線を実現させた立役者、島秀雄は私の尊敬できる数少ない日本人です。
一般の人にそれほど知られていないのは、島秀雄は政治的駆け引きが苦手で目立つことをよしとしない人のようで、それだけに表舞台に立つことはめったになかったからだと思います。
頭脳は明晰、人格も申し分ない人でその業績の偉大さにも関わらず、あまりにも謙虚で周りからの評価が遅れてしまい晩年にやっと文化勲章を受けられたそうです。
世の中には、このように人格者で業績がすぐれていても不器用で目立たない性格のために評価されない人がたくさんいると思います。
歴史でも多くの傑出した人物が紹介されていますが、それ以外にもほとんどの人がしらない不器用な偉人が多くいます。逆にそういう人たちほどのちの世の中に本当に役立つシステムを考えていたようです。
最近ちょくちょく評価されてきた白州次郎は、15年ぐらい前に知る機会があり興味がわいたので彼について書かれている本をすべて読んだことがあります。
幕末の大村益次郎は、かなり変わり者ですが、日本にいち早く軍隊のシステムを取り入れ近代戦の考えを定着させた軍神です。35年ぐらい前にNHKの大河ドラマ「花神」(司馬遼太郎原作)で取り上げられましたが、視聴率は最低だったようです。
私は目立たなくても本当にいい仕事をする人が好きですし、そのような人が評価されることがうれしく感じます。世の中捨てたものではないな、と。
人物に共通するところは頭脳が明晰、独創的だが、独善的でなく、目立たなく、周りからの評価はちょっと変わり者、政治的な表舞台に立つことをきらい、私利私欲がなく、自分の信念で自らやりたいことを頑固なまでに貫く人物。
それが私の尊敬する人です。いつかこの歴史上の巨人たちの足もとにすこしでも近づくことができれば・・と考えています。
先日、部屋のかたずけをしていて思い出の漫画がでてきました。それは「原人ビビ」という単行本のマンガです。今から40年以上前昭和43年で私が8歳ぐらいの時のものです。
全3巻で「サンコミック社」から刊行、原作は石川球太、当時の値段が1巻240円でした。原始時代、ある村に「ビビ」という名前の子が生まれて、いろいろな試練に耐えて最終的に独り立ちするまで、マンモスとの友情を交えながら書かれています。
実はこの漫画、自分が読んで記憶に残っている最も古い漫画でしたが、なぜか3巻目を読んだ記憶がなく長年気になって仕方がなかったのです。1巻・2巻は繰り返し何度も読みましたが高校生のころにそれも紛失してしまいました。
しばらくこの漫画のことは忘れていたのですが、今から10年ぐらい前に「まんだらけ」というマンガの古本屋が名古屋に開店、ひょっとすると、と思ってこれを探しに行くと「プレミアムコーナー」みたいな所のガラスケースのなかにあったのです!しかも3巻そろった状態で。
やった!長年気になっていた漫画が目の前にある!これは買いだ!と思い値段を見てみたらなんと3巻で6万円!!
でもこのチャンスを逃したら、次はいつになるかわからん!と思って買いました。それがこれです↓
ほぼ30年ぶりにわからなかったこの物語の結末がわかったことと、懐かしさで至福の時を過ごせました。
昨日、品川でサーマクール&フラクセルのセミナーがありました。
業者が主催でしたので、内容はあまり期待していませんでしたが、思ったより役に立ちました。
サーマクールについては、もうすでにネタがつきていると思いきや、さらに新しい知見が出ていてこの器械の息の長さには本当に驚かされます。
ハードについても新しいチップ、ボディサーマなどどんどん改良が進んでいるようです。
次に目玉のフラクセルについて、基礎のおさらいがてら聞いていました。
フラクセル理論を思いついた人は、きっと天才に違いない!と思っていたところ、その人は新聞を読んでいたときに新聞の記事印刷がドットでできていることからフラクセル理論を思いついたそうです。意外と身近な所にヒントがあるものですね。
八事石坂クリニックに導入している「パールフラクショナル」ですが、このセミナーでもほんの少し紹介されていました。
我がクリニックのスタッフは(私も含めて)全員、このパールフラクショナルを体験しました。痛みに関しては、表面麻酔クリームで十分コントロールできます。
私の感想ですが、パールフラクショナルはフラクセルリペアー同様アブレーティブ・レーザーの1種ですが、フラクセルリペアーに比べて出血が少なく、ダウンタイムが非常に短いところがいいです。
いずれにしてもフラクショナルレーザーは当分の間目が離せないカテゴリーとなりそうです。
年をとると顔全体がたるむとともに、鼻の下も長くなるようです。
若くても、もともと鼻の下が長い人もいます。
そんな人にする手術がリップリフト(鼻下短縮術とも言われている)です。
傷はできるだけ目立たないように鼻と上唇の境目になるように皮膚を切りとります。症例はこちら。
結構たくさん切ってもそれほど変化が少ない手術で、正直、手術中はこんなに切り取っても大丈夫かと思うこともありますが、結果は大丈夫のようです。
今や美肌治療の定番になりつつある「フラクショナルレーザー」ですが、八事石坂クリニックでも今週から開始しました。
採用したのは「パールフラクショナル」です。
アブレーションのレーザーで以前から評価が高かった「パール」ですが、これにフラクショナル理論が加わったものが
「パールフラクショナル」です。
実際の治療風景です。
ニキビ跡、小じわ、毛穴に有効です。もちろんフラクセルのような「古くなった肌の入れ替え」ができます。
一部の美容雑誌では早くも美肌治療の救世主として取り上げられています。(美STORY4月号)
今のところ日本では5台程度が導入されていて、中部地区では八事石坂クリニックが最初です。
価格は全顔で126000円ですが、現在治療経過のデータに協力していただける方には半額の63000円としています。
毎朝、早い時間に犬をつれて散歩します。散歩といっても近所をぐるっと回るだけですが、ほぼ決まった時間を毎日歩きますので季節の移り変わりがよくわかります。
近所は一戸建てが多いので、そういったお宅には立派な庭木のある庭もあってそれを眺めるのも毎朝の楽しみです。
ここのところ暖かい日が続きましたので近所の庭で梅が満開でした。
梅の花をみてふと今から30年前の大学受験の日を思い出しました。
昭和53年の3月3日岡山大学の入学試験が終わったあと、名古屋から一緒に受験にきた友達もいなかったので一人で後楽園に寄ってから帰ろうと思っていました。
その後楽園の中にはとても立派な梅林があり、その時も紅梅白梅ともに満開でした。
それを見たとき「大学に受かったら来年もこの梅を見にこよう」と思っていたのですが、大学に入学してからはそんなことは全く忘れて30年が過ぎていました。
機会があればあの立派な梅林をもう一度見に行きたいものです。
「梅一輪 一輪ほどの あたたかさ」 服部嵐雪
前の記事で書きましたが、3月7日、マリオットで名古屋大学形成外科の鳥居教授退官記念パーティーがありました。
鳥居先生が教授になられた当時、先生は日本の国立大学で最年少の教授と言われていたのですが、その若かった教授が退官されるということに感慨深いものがあります。
医局の先生たちにも久しぶりに会いました。意外にもこのブログを読んでいる先生が多いことにちょっと恥ずかしい気がしました。(先生たち!時々でいいですからコメントもお願いします!)
来賓として前東大形成外科教授の波利井先生もお見えになっていました。波利井先生とは去年2月のオーストラリアでの国際美容外科学会でお話して以来でしたので、私の新規開業の報告がてらご挨拶を申し上げました。
波利井先生も現在某美容クリニックの経営にかかわっておられるそうで、美容外科の経営について話がおおいに盛り上がりました。その時の会話で「健全な美容医療」と「健全なクリニック経営」の両立は美容外科医の普遍的なテーマなのだと痛感した次第です。
鳥居先生の最後のあいさつで「形成外科医に必要なものは手先の器用さではなくて一生懸命努力する姿勢だ」とおっしゃっていました。最後まで鳥居先生らしい直球あいさつでした。
私が鳥居先生の言葉で忘れられないのは、当時医局で極貧生活を送っていた私が、貧乏生活を愚痴った時におっしゃられた言葉でした。
「大口君、好きな仕事ができるのであれば、お金は関係ないでしょ」
私、この年になってようやく教授の言葉を素直に受け取ることができるようになりました。鳥居先生!ありがとうございました。そして長い間本当に御疲れ様でした。
今から2年前の3月に家族旅行でハワイにいきました。その時5回目となるハワイ行きでは、それまでついぞ実現できなかったことを計画に入れました。それはハワイ滞在中に美容外科医フラワーズ先生のクリニックを訪れることでした。
ハワイは日系人が多いせいか、先生自身は西洋人ですがアジア人を対象にした美容外科の第一人者で、彼の論文も東洋人の手術についてのものが多く、多くの日本の美容外科医の間でも彼の業績は知られています。
4泊6日の旅程のなかで、クリニックの手術予定の日に合わせて1日半の予定で手術見学をさせていただきました。
手術は1日目の午前中に豊胸バッグの入れ替えが3件、2日目は全日先生お得意のcoronocanthopexyの手術を見ることができました。
手術の合間のpersonal communication も示唆に富むもので大変いい勉強をすることができ、今でも自分自身の手術の考え方の一部に役だっています。
たとえば切開式重瞼術の際の眼瞼挙筋の処理の仕方や、外眼角の位置とまぶたの動きの関係に対する考えはその時の会話がヒントで考えつきました。
上:フラワーズ先生と時差ボケ気味の私 下:とても見晴らしのいい彼のクリニックの手術室
彼は芸術家でもあり、音楽や美術に大変造詣が深く、論文のイラストも彼自身の肉筆で大変素晴らしいものです。